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600年前から続く普遍的な「笑い」狂言ワールド


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皆さま、暑中お見舞い申し上げます!

本当に暑い、毎日暑い…

そんな灼熱のなか、昨日は待望の「狂言講座」第1回が実施されました!!

できたばかりの法真寺さんの講堂で…の予定が、「エアコンが急に壊れてしまって!」の悲痛な知らせに驚愕しましたが、すぐさま別の会場を貸していただき、事なきを得ました。
記録的な暑さでエアコンも悲鳴を上げてしまったのでしょう…気持ちはわかる。
いやー、焦った💦
さすがにこの暑さ、エアコンがないと、お客様もセミナー先生も、全員救急車で運ばれてしまいますね(^^;;

さて、その噂の「狂言」。

まず、ご参加者の内訳としては、狂言鑑賞をしたことがある方が3割、ない方が7割で、未経験者が圧倒的に多かった。

冒頭に鑑賞経験を聞く…

そして、「なぜ観たことがないか?」のアンケートに
・機会がなかった
・興味がなかった
・知らない分野だった
・敷居が高い
の回答をいただきました。
やはり予想していた通りです。

実際、私も鑑賞経験はなく、なぜなら、これまでチャンスがなく、日本の伝統文化全般的に「(鑑賞料金が)高い」「敷居が高い」と思い込んで、私ごときが観に行ってはいけないような気がしていたからです。

では、これまで観たことがなかった方々が、なぜ今回のセミナーにご参加くださったか。
そこも気になりますね(^^)
理由は、「仕事柄、必要に感じたから」「日本人として日本文化をひと通り知ることは大切だと思ったから」。
ふだんから外国人と接する機会が多い仕事の方々は、外国人に対して日本の文化を紹介することが多く、どんな質問が飛んできても答えられるように日々勉強されていらっしゃいます。
また、年齢を重ねるごとに、日本人として日本文化を知りたいという欲求に駆られているようです。

それもそのはず、今回の狂言講座を企画して以来、日本人よりも外国人の知人から「狂言」の話を聞く機会が多く、彼らは私たちより豊富な知識を持っていて、かなり驚かされました。
実際に、セミナーでいただいた資料にも「その価値評価は日本より海外で大変高い」という何とも皮肉な逆転現象が起こっている事実を知らされました!
それって、日本人としてかなり恥ずかしいのでは…?

この点について、講師の藤九郎先生に伺ったところ、「欧米の芸術家は、現代(演劇など)の役者でもまず古典を学んでいる」つまり、基本があってこそ、その延長線上に変化をつけることができるのですね。さらに「狂言を高く評価している外国人は、その形式・型・衣装の美しさに魅かれ、文化芸術に対して高い価値観を持つ欧米人が多い」そうです。
納得。

代表的な構え。※舞台では草履を履かないが、セミナ―会場の関係で草履を着用しています。

あたり前ですが、外国人の全員が日本文化に関心を持っているわけでもなく、狂言を高く評価しているわけでもない。一部の教養レベルの高い人たちが、こうして外国文化・芸術に対して興味を抱いて理解に努めているのですね。
そう考えれば、お家元の日本人だって同様で、理想は日本人全員が日本の伝統文化を理解していれば言うことはないのですが、そんなはずはなく、やはり日頃から文化・芸術に関心を持っている人だけが、日本のものも、外国のものも、幅広く知識を得ようとするのでしょう。

良し悪しではなく、興味の対象と必要性の問題、なのですね(^^;;

 

そんな「狂言」。
第1回セミナーでは、まず「狂言」そのものを知ってもらおうと、導入部分からの解説です。

歴史、他の伝統芸能との違い、流儀、言葉、登場人物など…。

「史上初女性狂言師」の和泉淳子さん(お姉さん)も飛び入り参加で解説に協力してくださり、「構え」「(足の)運び」を実演!

まず驚いたのは、狂言は「神様に捧げる喜劇」として誕生したこと。
神社に行けば御神木として祀られる木々があります。狂言舞台の背景に描かれる松の木こそが神様の依り代であり、狂言誕生当初はこの神様の宿った松の木に向かって演技をしていたそうです。

舞台には松の木が描かれている

それが安土桃山時代から人(公家)に見てもらう芸能に変化し、江戸時代は時々庶民にも開放されるようになり、現代は誰でも鑑賞できるようになったという流れ。面白いのが、江戸時代に庶民に解禁されたのは良いが、その案内(御触書)には鑑賞マナーまで書かれていたそうです。
ちょっと笑っちゃった(^^;;
そりゃそうですよね、知らない人にはちゃんとマナーを教えてあげなければ、それ以外の人たちに迷惑をかけてしまいますもんね。以前、中国からの帰国便に乗り合わせた中国人団体旅行客が、機内で一生懸命「日本でやってはいけない禁止事項一覧(旅行会社発行?)」を読み漁っていたのを思い出しました(^^;;
ちょっと見せてもらったが、その内容は…「大声で話すな」「ホテルの備品を持ち帰るな」「ゴミをポイ捨てするな」「公共の場で座り込むな」「池の鯉を捕るな(!)」「池で体を洗うな(爆笑!)」など。
それを見た私は、機内のゲロ袋を中国人に渡して、「ここにゴミを入れてホテルで捨てるようにするといいわね」と教えてあげたら、その中国人は周辺の仲間全員に「みんな、わかったか?この袋を持って行けよ!」と指導していました(笑)。
よほど知性の低い人でない限り、教えてあげればちゃんとマナーを守ってくれるのです(^^)

話が脱線しました。

「神事」として始まった狂言。
つい先日、宮崎県でさんざん神社を見まくった私は、時々「神楽殿」を発見し、そういえば以前に小豆島へ行った時も「農民神楽」の存在を知って気になっていました。
日本の代表劇な伝統芸能である、能、狂言、歌舞伎、日本舞踊、人形浄瑠璃、文楽…これらと、神楽や田楽とは何が違うのか?

確かに神楽も神様に捧げる踊りですが、プロなのかアマチュアなのかがいちばんの違いだそうです。

何を守ろうとしているかの違いで、伝統芸能は「伝統を守る」に対し、神楽や田楽は「地域を守る」こと。
伝統芸能が、まさしく伝統を守って受け継いでいこうとするプロフェッショナルに対し、神楽や田楽は、地域が伝えていくもので、お祭りなどに付随して行われることが多く、地域の住民や時々神職が演じるアマチュアの芸能。
興味深かったのが、「家ごとに役割(配役)が決まっているので、一人が辞めてしまうと、その芸が成り立たなくなってしまう」こと。地域内の関係が希薄になると、このようにイベント存続の危機に立たされるわけですね。だから最近特に「町おこし・村おこし」に必死なのかも…。
その点、プロとして受け継いでいる能や狂言などは、家(流儀)ごとに総合的に伝統を受け継いでいるので、一人が辞めたからといって、舞台ができなくなることはない。それがプロなのです。

もう1点、面白いと思ったのは、登場人物について。
狂言は登場人物2~4人の「生きていく姿」を表現したもので、どこの誰といった特定人物を表す演目はありません。登場するのは主人、大名、太郎冠者、僧侶、山伏といった(固有名詞ではなく)普通名詞です。
舞台の最初に発する言葉を「名乗り」というそうですが、例えば「この辺りの者でござる」と言うだけで、「私は○○です」と名前を言うわけではありません。
興味深かったのは、その序列で、「その辺りの者」が太郎冠者など一般人、その上に「大名」がいて、最上級に「(大)果報者」が存在する。果報者は経済的だけでなく、心も豊かでなければいけないため、大名(経済的勝者)より上に位置するそうです。

うーん、感慨深い!!

お稽古体験!藤九郎先生による「口伝」なるか!?ノリノリのご参加者(^^;;

【動画】「この辺りの者でござる」の実践!

お金や権力を掌握する人が何より偉いと思われている現代社会において、いま一度振り返って考えさせられる話ですよね。お金や権力があっても心が貧しい人は、結局「可哀想な人」。そのことをはるか600年も昔の狂言が教えてくれています。
だからこそ、狂言が表現するのは「現代でも通用する普遍的な内容」だと言われるのです。

このような導入部分を知ることができ、第1回セミナーはとても良い内容でした。

これを踏まえ、次はもう少し具体的に「狂言を鑑賞する際のポイント」を解説していただきます。

舞台の見どころ、型が教えてくれることなど、鑑賞のコツを知ると、ますます狂言ワールドを楽しめます!

次回は8月19日(日) 14:00~15:30

お申込みはこちらから↓

十世 三宅藤九郎が語る伝統芸能 狂言講座

多くの方に狂言の「笑い」を知っていただけますように(^^)

皆さまのご参加、お待ちしております!!

藤九郎先生の飛び切りの笑顔とともに(^^)

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Email info@i-travel-square.tokyo
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