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山陰ツアー・隠岐島の巻 vol.3/最終回


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初日のお城で最初の不思議な出会い。→vol.1
中盤の出雲大社神事で2回目の奇跡の出会い。→vol.2

毎度のことながら、旅行の度になにか神がかり的な事象が発生するので、時々自分が恐ろしくなります😅


マッサージのおかげですっかり気を取り直し、腰の痛みは簡単には解消しないものの、本丸の隠岐島へ突入です!

とはいえ、ここでもプチ奇跡が。
実はちょうどこの頃、お天気が怪しく、フェリーの欠航が危ぶまれていました。
4日目の石見銀山で、予約していた隠岐島の居酒屋から「申し訳ないがどうしても外せない用事があるため予約をキャンセルしてほしい」との連絡。聞けば、予約日の翌日に本土へ行かなければいけない用事があるが、その日のフェリーが欠航しそうだから前日から行くことになった」と。そして我々のフェリー午後便も危ないかもと教えてくれたのです。

マジか!?
もし予約便が欠航になったら、隠岐島でのすべての計画が水の泡になる。
まいったなー、これはまさしく神頼みしかない!!とメンバー全員で念じていたのです。

フェリーの運航情報は当日朝の発表。
どうやら我々の予約便は運航されるようで、まずは安堵で胸をなでおろす。
船に乗り込みツアーメンバーと出航の祝杯を(笑)
しかし、さすが運行が危ぶまれていただけあり、航行中はよく揺れて、だんだん気持ち悪くなってきたので、全員「意識を失ったように」寝ることにしました。
目が覚めたら中継地の西ノ島町。ここから先は穏やかになり予定通り隠岐の島町へ上陸。ホッとしました。
翌日は我々はフェリー移動はなかったが、興味本位で運航情報を見たら、高速船は欠航、フェリーも中継地に立ち寄らないスケジュール変更となっていました。
我々の移動日はその翌日でまったく正常どおりに戻っていたが、もし立ち寄ってくれなければこれまた我々の予定が狂うので、1日違いで天地の差だったかと思うと、この幸運に驚きと感謝しかありません!

神様、本当にありがとう!!

【頑張ってくれたフェリーたち!】


肝心の隠岐島について、何も書いていませんね😅

恥ずかしながら、今回のツアーを計画する前までは、隠岐島とは佐渡島のように島が1つだけだと思っていました。
よくよく調べてみると、島後(どうご)と呼ばれる大きめの島が隠岐の島町、島前(どうぜん)には西ノ島町海士町知夫村の3つの島があることが分かりました。
海士町は後鳥羽上皇が流されて19年滞在し生涯を終えた島で、島には後鳥羽上皇に関係する史跡がいろいろ存在します。
後醍醐天皇は西ノ島へ流され、2年目に脱出に成功したそうで、島には御所址もあります。
4つの島全体の人口は2万人弱で、半数以上が島後(隠岐の島町)に住んでいるそうです。
余談ですが、ツアーが終り東京駅に戻ったとき、駅構内のあまりの人の多さに目がついて行きませんでした。きっと隠岐島全体の人口をはるかに越える人たちが行き来していたはずだ!

私が隠岐島に興味を持ったキッカケは、北前船で名を挙げた高田屋嘉兵衛を描いた司馬遼太郎の『菜の花の沖』。
隠岐島の記述はそれほど多くなかったのですが、この島には航海の神様が通過する船を見守っているので、そこを通過する際は必ず汽笛を鳴らし敬礼する(正確な表現はもう少し違ったかも…)といった記述が深く印象に残り、神様・神社ファンの私としては、その現場(神社)をぜひとも訪れてみたいと思ったのでした。
ところが調べてみると隠岐島全体が神社の宝庫、まるで宮崎県のようにお寺はほとんど存在しない。神話の国を標榜する地域は、本当にこんな感じなんだなと感慨深く思っている場合じゃありません。『菜の花の沖』は6巻まである長編で、うろ覚えの記憶をたどろうと、たった1ページのために全部を読み返すのは途方もない作業。しかし神社がありすぎてどの神社のことを指していたのか分からない。ガイドブックに載る有名どころの神社の説明文を読み、きっとこれだとあたりを付けたのが「焼火(たくひ)神社」。
これがビンゴだと分かったのは、島後から島前へ移動のフェリーで、焼火神社があると思われる岬あたりをフェリーが通過する際に、なんと汽笛を鳴らしたのです。
これは!と思い、船のスタッフに「あれは焼火神社への敬意を表した汽笛だったのですか?」と尋ねたらそうだと。今でもこの習慣を継続していたことに驚きと尊敬を覚えました!

ここで少し豆知識。
日本は神様によって作られた国と言われます。古事記・日本書紀によると、おのころ島(淡路島のあたり)で夫婦となった伊弉諾尊・伊弉冉尊の二柱は日本列島の島を次々と生んでいきます。二柱による国生みの順序は、現在の淡路島からはじまり、四国、隠岐島、九州、壱岐、対馬、佐渡島、本州の順。隠岐島は3番目に生まれた島なのですね!
だから島前・島後ともに島のあちこちに神社ばかり。150座以上あると伝わるそうで、立派な神社マップもいただきました!

さてその感動の翌日、いよいよその焼火神社へ。
神社は駐車場から30分弱、山道(いちおう舗装されている)を登ったところにありました。
本殿が岩の中に半分入ったような険しい神社で、それ以外は特別立派でも何でもない普通の神社です。でも、そもそものストーリーを知っていたので、現地を訪れたことに大きく感動し、他のメンバーがさっさと下山しようとしているのに、私は現地を離れたくなく、いつまでも佇んでしまっていました。

その後、隠岐島の観光をすべて終え、いよいよ本土へ帰るフェリーでも、同じくこの岬を通過するので、もう一度汽笛を聞きたくてデッキにスタンバイ。グーグルマップを睨みながら今か今かと冷たい風を受けながら待っていたら、「ボー」と鳴った!

ああ、感動、ふたたび!!
もう、これだけで感無量です。

焼火神社まで駐車場から徒歩15分
途中で見えた景色が美しい。右手前が西ノ島の南端、左が知夫里島の北端、ずっと奥に見えるのが本土か?
着いたー!感激!!ガイドブックによると、安藤広重や葛飾北斎の版画でも隠岐国の名所として描かれている神社で、古くから海上安全の神として信仰されてきたとのこと。岩穴に建つ本殿は隠岐最古(創建838年より前、1732年改築)。海中から現れた火の玉が本殿裏の岩穴に入って行ったことからこの地が祀られるようになったと伝承があるらしい。
岩穴の中に本殿が鎮座する
すぐ隣の岩穴には小さな社と地蔵菩薩。拝殿には「焼火神社雲上宮 御本尊 地蔵菩薩」と書いた木札が置いてあったので、きっとこのお地蔵様のことですね。
後ろ髪を引かれながらも神社を後にし、下山途中で見えた海の景色は、なにか神々しさを感じるものでした!

↑↑感動の汽笛、風の音が強すぎて汽笛が鳴っているのがよく分かりませんが、鳴ったと思って見てみてね!


まるで焼火神社で隠岐島が終ってしまいそうな勢い😅
他にも隠岐島にはたくさんの魅力がありましたよ、もちろん。

もうひとつ深い印象としては、知夫里島と西ノ島で放牧(放置?)されている牛や馬、怖れを知らない野生のタヌキでしょうか(笑)
いつものパターンというか、私がハンドルを握る旅は、高確率でとんでもない山道を走ることになります。奄美大島しかり、佐渡島しかり😅
今回もナビと地図を見ながら走ると、やっぱり山道に入ってしまった。というか、島なので民家がある集落以外は、ほとんど狭い山道。いちおう舗装されていますが。
いつものこと、とカーブを曲がると急に道路わきに黒い物体が…牛だ!!
一同騒然、激写の嵐!😅
先に進むと、今度は何頭もの牛が道をふさいで進めない。
クラクションを軽く鳴らし、「すみません、通してください」とお願いしながら、そろそろと牛の至近距離を通過する。牛も慣れているのでしょう、ジロっと睨みを効かせながらも、ヨイショと、どいてくれました。知夫里島での出来事。

そして西ノ島では、今度は馬だ!(牛もいました💦)
競馬や時代劇や映画で見るようなスラリと格好の良いサラブレッドではなく、足腰が丈夫そうな短足の和製の馬です。いくら足が短めとはいえ、馬が怒って蹴っ飛ばされるとレンタカーは大破するので、牛よりさらに慎重に「すみません」と謝りながら、そーっと通過です。
同行のメンバーが「サファリパークみたいだ!」と。
なるほど、言い得て妙。
そして「山から下りても黒い物体を見たら牛かと思ってしまうかも!」と。笑笑

この牛馬事件が、他の記憶をすべて吹き飛ばしてくれるほど、衝撃でした😅

レンタカーの窓ごしに覗きこむ牛!
カーブで現れた牛!
どいて、お願い🙏
牛とカラス、仲の良いこと!
タヌキも!夜行性ではないのか?
西ノ島では馬が!!
馬に蹴られないよう、そろそろと通り抜ける💦

いや、これじゃまるで、隠岐島は神社と動物しかいないように思われてしまいそう😅
誤解を解いておきます(笑)

隠岐島は地形や地層もダイナミックで、2023年にユネスコ世界ジオパークに認定され、島後にある空港はその名も「隠岐世界ジオパーク空港」!(まんまやねー笑笑)
2億5000年前にユーラシア大陸の一部だった日本が2600万年前に大陸から離れだし、600万年前に大規模な火山活動によって島前と島後が形成されたそうです。
よって、島前、島後ともに、島では多くのジオ痕跡を見ることができました!

フェリー港には600万年と書いてあったのに、なぜ2億5000万年?と疑問だったが、大陸の一部だった時と、島が形成された時の違いだったのね😅
きっかけは隠岐の島町の町案内のガイドさんが神社で紹介してくれた2億5000年前の「隠岐片麻岩」。
ダム近くに露頭していると聞いたので、さっそく見に行く!
隠岐の島町にある岬、白島海岸。粗面岩という珍しい岩が見られるらしい。断崖にはいくつもの海食洞があるそうです。
岬にあったシュールすぎる標識😅
隠岐の島町の北西部の海上に浮かぶローソク島。長い年月を経て浸食が巨大なローソクを造ったと。これに夕陽が重なりローソクに火が点るように見えるのは、海上からだけで、この日は大しけでとても無理でした😅
ローソク島よりこっちが凄い!奥能登に続き、またまた波の花!クリックして波の花が舞い上がる様子を見てね😊
赤壁、知夫里島の景勝地。鉄分を多く含んだ玄武岩や凝灰岩が鮮やかな模様を描く。
西ノ島の摩天崖と通天橋を同時に見下ろす
通天橋は、摩天崖の下にある巨大なアーチで、海にせり出した岩が浸食で削られたもの。浸食で今でも変化しており、数千年後に見たらもっと穴が広がっているかも?😅
通天橋の近くの奇岩たち

そしてこの島前それ自体が、実は世界にたった2つしかない、海水で出来たカルデラで、もうひとつはギリシャのサントリーニ島。知名度が違いすぎるのが辛いところ(苦笑)
しかし、隠岐島の方が歴史が古いそうで、実際にこの目で見た海のカルデラの様子は、ダイナミックでとても美しかったです。
こんな素晴らしい場所が、まだまだあまり知られていないのは、ちょっともったいない。

これはサントリーニ島でないと思うが、同じエーゲ海の島、たしかにカルデラっぽく見えて来る!
こちらが世界でもうひとつの海水カルデラのサントリーニ島。特徴的な白と青の建物に夢中で、肝心のカルデラをまったく意識していない写真に、我ながら愕然とした😅(2009年に行きました)

 

一方、隠岐島(島前)の方は、地図で見ると島に囲まれた海水カルデラの様子がよくわかる。
知夫里島からパノラマで撮ってみた島前カルデラ!

ぜひ多くの人たちが果敢にこの現場を訪れることを、現地の牛馬とともに祈っております!

摩天崖の上から見下ろす海と奇岩。隠岐島の大自然の見納め😊

最後は初日に中1男子に教えてもらった「特急やくも」で彼の地を後にします。
長旅にお付き合いくださったお客様の皆さま、ありがとうございました!

クリックすると381系特急やくもの動画が出てきます!


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