台風一過の日曜日、2週連続で…というか、7月は茶道から始まり、教会と音楽、狂言、そして今回の建築と、ほぼ毎週のようにセミナー三昧でした。
そして、ただひとつセミナーの入っていない3連休は、宮崎県へ「古墳と神社、神様をたどる旅(視察)」へ行き、さらに建築セミナー直前には山梨県へ「フルーツ&ワイン三昧(視察)」にも行き、寝る暇はおろか、息をつく暇すらなかった私でございます(^^;;
まもなく夏バテの予感…(苦笑)
さて、その建築セミナー、いつもは外を歩き回って建築物を見学していますが、さすがにこの酷暑、先生もお客様も病院に運ばれては大変なので、夏は涼しく室内で座学です!
これまでの建築ツアー(セミナー)は、建築物を見学することが主体でしたが、ご参加者の皆さまから暑い…いや、熱いご要望により、建築家そのものに主軸を置くアプローチで迫ってみました!
まず、事前に先生から送られてきたレジュメにビックリ!
23ページにもわたる、壮大なテキストです!!
もはや、レジュメの領域を超えている(^^;;
片面印刷ではホチキスがとまらないので、もちろん両面印刷。
当社のチラシやアンケートも挟み込むので、ギリギリ何とかとまり、安堵です。
まあ、その前にプリンターが悲鳴をあげる大惨事もありましたが…(^^;;
そんな大学のテキスト並みの素晴らしいレジュメ。
紹介されている建築家は総勢50名、さらに講義中にプラスαの建築家。
聞き覚えのある建築家から、初めて聞いた人まで、そして彼らの作品の紹介と、それはそれは、膨大な情報量です。
思った通り、3時間半ではとても終わらず、最後は中学・高校社会科の「日本の近代史(昭和以降)」のようにかなり駆け足。ギリギリ最後までたどり着き、主催者としてはホッといたしました(^^;;
講義で教えていただいた情報はあまりに多く、メモが忙しくて撮影するヒマがないほど、撮影しようと思ったら次のスライドへ変わってしまい、メモしたことがどの建築物についてか、きっと後で見てもわからないだろうな…と途中から諦めモードになった私。
いつもは70~80%の理解度でしたが、今回ばかりは30%ぐらいしか追いつけなかった(-_-)
そんな悲しい劣等生の私ですが、今回のセミナー内容で、特に印象に残ったことをご紹介します。
まず1つ目が、近代建築の流れについて。
明治期にイギリス人建築家ジョサイア・コンドルが日本へ招かれるところから講義はスタート。
そういえば、つい最近この名前を聞いた覚えが…と思い出してみたら、中禅寺湖畔にある英国大使館別荘の設計にジョサイア・コンドルがアドバイスしていたようで、たしかに別荘内の資料に彼のパネルもありました(^^)
そのコンドルが工部大学校(現・東京大学工学部建築学科、当時はまだ「造家学」と呼ばれていたらしい)の教授に就任し、東京駅舎を設計した辰野金吾など創成期の建築家たちを輩出。ここが日本の近代建築の幕開けとなるようです。
その後、伊藤忠太(築地本願寺)らの時代に「建築」「建築家」という言葉が誕生。
世界ではフランク・ロイド・ライト(帝国ホテル)、ル・コルビュジェ(西洋美術館)、ミース・ファン・デル・ローエの三大巨匠が近代建築を確立。その流れが世界中に波及し、吉田鉄郎の東京中央郵便局(現・Kitte、故・鳩山さんが「朱鷺を焼き鳥にする」と解体を拒否したあの物件)に見られるように、日本にも「モダニズム」が浸透してきます。
ちなみに、ミース・ファン・デル・ローエの作品、チラ見しましたよ!
あのチェコ・ブルノで!!(トゥーゲントハット邸)
ちょうど映画撮影中で、中に入れてもらえず、残念ながら柵の外から断片だけの見学でしたが…(^^;;
とりあえず、自慢しておこう!(笑)
このミース・ファン・デル・ローエは「Less is more」「神はディテール(細部)に宿る」の名言を残したらしい。カッコイイ!!
それって、今でいう「ミニマリスト」の走りですか?(いや、たぶん違うだろう…)
いずれにせよ、それまでのデコラティブ(装飾過多)な建築を否定し、シンプルな造りの中に美しさや精神的豊かさを表現したようです。この辺りのアプローチは、まるで茶道の世界のようだと、ふと思いました(^^)
その「モダニズム」、これまでの建築ツアーでも何度も言葉が登場しました。
「世界中どこへ行ってもできる、均質な」というような合理性、普遍性、国際性のある建物がたしか「モダニズム」だったと記憶しているが、違ったかな?
これに対して、次の時代には「メタボリズム」というものが登場する。
ついセミナーが始まるまでは、「え?メタボ?」なんて、いかにも素人まる出しの私。
おそらく、世の中の90%の人が、私と同じ反応だったはずだ!(^^;;
建築の「メタボリズム」は、決して太りすぎでお腹が出ているダメダメ建築ではありません(^^;;
有機的で増殖する、というところから命名されたようです。
増殖って…今度はアメーバみたいなのを想像してしまいますよね。
言葉だけ聞いていると、無限に勘違いの想像が広がって行く(^^;;
そうではなく、スカイハウス(菊竹清訓)のように、「将来、家族が増えたら、下に部屋を追加すればいい」といった、現在進行形の建築物を指すようです。
このメタボリズムの背景に日本では高度成長期があり、さらに時代が進んで商業ビルやランドマーク的建築物だけでなく、一般住宅も建築家が手がけるようになっていく。
ビックリしたのは、塔の家(東 孝光)には玄関以外にドアは一枚もない(トイレも!)こと。この建築物は「狭小住宅」の先駆けなのだそうですが、せめてトイレにドアは作ってほしかったかも…(^^;;
そして槇文彦(ヒルサイドテラス)などによりモダニズムは継承されていくが、その後、これまでの流れに乗らない若手が出てきて「野武士」と呼ばれるようになる。
このアンチモダニズム的な流れは、当時アメリカから流行が始まった「ポストモダン」と相まって、日本の建築シーンを牽引する大きな役割を担うことになりました。この日本版ポストモダン、当時、景気がバブルだったこともあり、ある意味特殊な展開を見せます。
それまでは正統派のきっちりしたモダニズム建築だったのが、急にゴテゴテした「なんじゃこりゃ」建築が多発。「デコン」(デコンストラクション)のヘンテコ建築が出回った時代だそうです。
さすがにバブル建築はそういつまでも続かないでしょう(^^;;
その後は「近代」から「現代」へ時代が移り、日本人でも海外で活躍したり、日本人建築家のもとで外国人建築家が学ぶようになったり、建築業界もボーダレス化していき、現在に至るようです。
現在、表参道や銀座を彩る、美しい建築物は、このボーダレス建築家たちによる作品が多く存在しています。
これまでの建築ツアーでは、そのパーツ(建築物)にフォーカスしており、なかなか体系的に建築の流れを振り返ることは難しかった。
やはり、こうして一つの流れを追って説明を聞くと、時代ごとに建築がどのように変化していったのかがよく理解できて、本当に良かったです!
もう1つ、印象に残ったのは、皆さんが大好きであろう「ル・コルビュジェ」が提唱した近代建築5原則について。
これは近年映画などでも取り上げられているので、キーワードだけはそこそこ有名になっていると思います。
- ピロティ
- 屋上テラス
- 自由な平面
- 横長の窓
- 自由なファサード
それまでの重厚な壁に囲まれた三角屋根の伝統的な家に対し、産業革命以降の技術革新で鉄筋コンクリート造りが可能となり、壁面や屋根、窓を大きく解放し、明るく自由なイメージの住宅ができるようになりました。
こういう開放的な住宅は、今でこそ高級別荘地などに行けばよく目にしますが、やっぱり出始めの頃は奇妙な形状で皆を驚かせたのだろうな、と想像してしまします。
どんな業界でも同様ですが、やはり最初にそれに気づいた人、それをやり始めた人は、すごい!
そこが天才と凡人との違いなのですね(^^;;
たくさんの建築家が登場し、多くの建築物を見せていただきました。
「なるほど、そこが美しいのか」とわかりやすいものもあれば、「これのどこが評価されたのだろう?」と皆目不明なものもあります。
次回は、もう少し詳しく「こういうところが評価されている」というポイントを、建築業界じゃない素人にもわかるように解説してもらえると嬉しいかも(^^;;
もちろん、三村先生の好き嫌いの観点からでけっこうです…それを皆も期待している!(笑)
いつも無理難題ばかりですみません(^^;;
三村先生、これに懲りずに、ぜひ座学第2段をお願いします!
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お楽しみに!!
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