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代官山が素敵であり続ける理由


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4月1日・3日は、当社人気の建築ツアー、代官山コースでした。

ファッショナブルで情報発信最先端の街!

今年の桜は早く、1日は天気も良く、最後の駆け込み需要で、街はどこもお花見で賑わっていました。
中目黒からランチをしながら代官山へ向かったのですが、まずホームから改札へ行くのに一苦労。駅周辺も黒山の人だかり。皆さん、目黒川のお花見に押し寄せていたのですね。危なくランチ難民になりそうでしたが、なんとか時間に間に合いました(^^;;

さて、ツアー冒頭にいきなり「代官山が今日はじめての方?」の質問が先生から…「はーい」と私。恥ずかしながら、今まで代官山で下車したことがなかった。なぜなら、東横線の特急は渋谷の次は中目黒、その次は自由が丘。その間の駅の配置がイマイチわかっておらず、代官山が渋谷と中目黒の間にあることを、このツアーで初めて知ったほどの田舎者でした(^^;;

中目黒から歩いていたときに既に「おや?」と気づいていたのですが、代官山って、どこか明るく開けた雰囲気がある。そして道路に面したお店も、ちょっと路地裏に入ったお店も、どれもオシャレ!!
待合わせ前に偶然見つけた古着屋さん、センス良すぎて、仕事も忘れて試着しそうになったほど(^^;;
銀座とも表参道とも違う雰囲気。
なんだろう、これは!!

私は企画者の特権として、日曜(1日)と火曜(3日)の両日参加しましたが、火曜にあらためて街を歩いて、ようやく答えが見つかりました。

日曜は観光客や遊びに来た人がたくさん歩いていて、玉石混淆の感も無きにしも非ずでしたが、火曜は道を歩いているのは明らかに近隣住民がほとんど。そのセンスと品の良さと言ったら!来ている服から連れている犬まで!!

そうなのです。この町は、かなり意識の高い人たちが生活している。それが街を歩くだけでわかってしまうほど、洗練された素敵な町が、ここ代官山でした!

そして「人が生活している」というのも大切なポイント。

今まで建築ツアーで見てきた表参道、銀座は、確かに人が住んでいないわけではないが、商業中心の街であって、生活という観点では「普通に住む町」ではなさそうです。まして丸の内に至っては「いちおう統計上では20人弱ほど住民登録はあるらしいが、いったいどこに住んでいるのでしょうね」と笑いネタになったほどですから(^^;;
それに比べ、この代官山は、商業と居住スペースが見事に融合しているのです!

今回のツアーは、今までの「建物中心」の見学から少し見方が変わり、「街のでき方・つくり方」をテーマに見学しました。
まさに、代官山が素敵な理由には、この「街のつくり方」にポイントがあったのです!

その昔、富士山を眺めるのに絶好の行楽地として栄え、江戸時代に「代官山」の地名が登場。
そして明治に入りこの町の運命を左右するキーマン朝倉さんが登場するわけですね。
代官山が大きく変わり出したのが昭和44年に完成したヒルサイドテラスの登場から、当時の朝倉家3代目と建築家 槇文彦氏のタッグが今日の代官山を牽引してきたのだそうです。

お花見で賑わっていた西郷山公園

詳しいことは今度の代官山アンコールツアーにご参加いただくとして。

一人の地主と一人の建築家がタッグを組んで街づくりを牽引し、何十年にも渡り街を作り続けていくスタイルは世界的に見ても非常にレアなのだそうです。さらに、住民の存在も忘れてはならない。なぜなら、たいていは大企業や財閥の資本力に負けて、住民が守り続けたかったスタイルを変えられてしまうことが多いから。ところが、代官山の住民は負けなかった。一致団結して大資本に立ち向かった。負けない理由のひとつに、もともと政治家や裕福な住民が多かったうえに、彼らの「意識が高かった」ことも大きく関係していたのでしょう。

3代目朝倉さんは、この代官山に集合住宅を造ろうと考え、アメリカ帰りの建築家 槇さんと出会う、運命の出会い!

朝倉さんと槇さんは、住宅+商業の両方が混在することが町として必要、さらにプラザやギャラリーなど文化施設も人々の豊かな生活には必要と考える。単なるいち建物の建築ではなく、「ひとつの町」を意識して始まった街づくりが、「ヒルサイドテラス」に表れています。そして、新たにできた周辺の建物も、軒の高さをあわせたり、景観を損なってしまう看板を出さなかったりと、朝倉さんと槇さんと代官山の住民が守り続けてきた意識を損なうことなく同調して街が発展しているのです。

ヒルサイドテラスは住居と店舗が融合している
さらに文化施設も…これはトイレではありません(^^;;
道路に面した部分はこれまでの計画にあわせて庇の高さを10mに、4,5階部分はセットバックにして視線の妨げにならないように工夫

そんな二人によって作り上げられた代官山。槇さんは朝倉さんに「あなたはこの町に住み続けなければいけない存在だ」と諭していたそうです。なぜなら彼がいたおかげで今日の代官山が存在するのだから。泣けてきますよね!

初代は米店だった朝倉家の旗(?)、代官山になくてはならない存在

ところで、この街を歩くと、至る所に緑があります。
そして、家や建物はどれもオシャレなのに大人しく、自己顕示欲を感じさせない品のある建物ばかり。
高級な町なのに、落ち着いていて、とても住みやすそうなのです。(庶民は住めませんが…)
それもそのはず、もともとあった木を残すような建物の設計をしていたり、建物の中を通り抜けできる空間にしていたり。日本人が好む環境を上手に建物に活かしているのですね。

個人宅だけど建築家にデザインしてもらったに違いないオシャレな家々
左の木が成長することを見越して設計した建物

これも偶然ではありません。
アメリカ帰りの建築家 槇氏は時代ごとの最先端(素材など)を取り入れながらも、「日本人の空間意識」を考慮した建物設計を行っていたそうなのです。例えば入口の正面性を避けた「隅入り」や、縁側を思わせるペデストリアンデッキ、終点がなく流れ(シークエンス)のある動線。日本人が好む緩さ(間、侘び寂び、不完全な美:茶道セミナーご参照!)を建物に取り入れることによって、建物自体が生活に溶け込んでいるのですね。

当時、改良され広く使われるようになってきたタイルを施した建物。隣の猿楽塚の木を考慮した設計。
道路のカーブにあわせ丸みを帯びた形状のデンマーク大使館建物

周囲との調和、自然との調和、生活との調和。

そこまで考えて建物を作らなければいけないのですね。
本当にすごい!

書きたいことはたくさんありますが、書ききれません。
今回は「日本人の空間意識」を考慮した建築設計を見たあとに、本物の和風住宅「旧朝倉邸」を見学し、日本の心をあらためて見つめることに成功しました!

【その他の代官山ギャラリー!】

そんなわけで、あまりに代官山が素敵すぎて、そのあと続いた渋谷がチープに見えてしまったことは言うまでもない…(個人の感想です、苦笑)

渋谷についてただひとつ印象的だったのは、
「渋沢栄一が大阪から小林さんを経営に招いた」
です。
「え?どこの小林さん?」
あまりに唐突すぎて、佐藤さんとか、鈴木さんとか、中村さんとか、そのレベルの話ですか、って大笑いしていたのは私と知人のもう一人だけ。他の皆さんはこの「小林さん」がどなたかご存知のようでした(^^;;

無知とは恐ろしい!(爆笑)

今回は大奮発で3時間のところが4時間も歩き回りました。
皆さんそれでも聞き足りないと、交流会でも話は尽きませんでした。
ヒカリエの上から望む渋谷、今後どのように変わっていくのでしょう。
そして、代官山は変わらず今のままでいてほしいと密かに思っていたのでした(^^)

交流会でも質問が延々と続く。本当に熱心な皆さまです!
今回の交流会はこちら。ヒカリエ7階の「Rice People, Nice People」さん。タイ料理のレストラン。他店から「カフェタイムの予約お断り」とつれない返答の連続の中、ただひとつ「大丈夫ですよ!」と快く予約を入れてくださいました。当日もお店のスタッフ皆さんとても感じよかった。お世話になり、ありがとうございました!!

次回は4月29日(日・祝)、ゴールデンウィーク真っ只中です!
ご要望のいちばん多かった表参道コースを再実施いたします。
すでにお申込みは定員の半数以上に達しております。
ご希望の方、お急ぎお申込みください!

http://i-travel-square.tokyo/travel/japan/tokyo/building/archtour/

 

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