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ミュシャは一歩間違えれば音楽家になっていたかも知れなかった!


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桜が終わった翌週末、爽やかな日曜日の朝に、チェコという中央ヨーロッパの国に迫るディープなセミナーを実施しました(^^;;

はいここで質問です(笑)
ー チェコは何でしょうか?
さすがにそれは知ってますね、国の名前。チョコではありません(おやじギャグにもならない…)。
ー ではどこにありますか?
うーん、ロシア?北欧?どこ?
正解は中央ヨーロッパ。「ヨーロッパの心臓」と言われており、ちょうど西ヨーロッパと東ヨーロッパがぶつかる位置にあります。それが実はチェコの過酷な歴史に深く関連するのです。


ー ちなみに、いまだにチェコスロバキアだと思っている方は、さすがに少数派ですかね(^^;;
長らくオーストリアのハプスブルク家に支配されていたチェコスロバキアが1918年に独立を果たし、そして1993年にチェコとスロバキアが別々の国になりました。
今年はその独立からちょうど100年ということで、100周年イベントが開催されます!
【宣伝】当社ではそのイベントを見に行く旅行を企画しています!
ご興味のある方、ぜひお問合せください(^^)

チェコスロバキア100周年を祝う!9日間

さて、話を本題に戻します。
このチェコスロバキア100周年の旅を企画した私は、中心となるチェコ第二の都市「ブルノ」とその周辺に多くの古い教会やお城などの見どころがあり、そしてバロック音楽が盛んであったことに気づきました。
そこでさっそく「教会と音楽セミナー」担当の渡邊先生に無理を言って「チェコセミナーしてください!」とお願いしたのです(^^;;

正直な話、「ブルノ」は私も知りませんでした。
チェコ観光局さんが「プラハは人(観光客)を見に行くところ。それに比べてブルノは観光資源が多いのに観光客がまだ少ないからチャンスよ!」と一押ししてくれる。しかも「ブルノの有名人は、メンデル(遺伝学の)、ヤナーチェク(作曲家)、ミュシャがいて」…え、なんですって?ミュシャ??

そうです、私は多くの日本人の例にもれず、ミュシャの大フアン。
リトグラフの絵を持っているほど本気です!(笑)
もちろん昨年のミュシャ展に行き、あの大混雑の中、4時間ほど粘りました(^^;;
グッズお買い上げ金額も尋常じゃない!(爆)
大阪・堺の美術館にもわざわざ行ったほどです!!

昨年大ヒットだったミュシャ展は世界初公開だった!

そのミュシャにゆかりがある土地と聞いて、企画しないわけにはいかない(^^;;
こういうこだわり、相当ニッチですが、当社のような小さな会社には重要です(苦笑)。

その昨年のミュシャ展を絵に穴が開くほど見入っていたとき、オーディオガイドや説明書に「フス戦争」とか「ヤン・フス」が何度か出てきました。いったい何だろう?と疑問に思いながらも、あの大混雑の中で疲労感に襲われ、帰宅してもそのまま調べることなく忘れていました。
ただ、この「ヤン・フス」がミュシャの「スラヴ叙事詩」シリーズに大きな影響を与えていたことだけは間違いないようで、とても気になったのです。

セミナーではフス戦争と関連したミュシャの絵を解説

今回のセミナーでは、まずはじめにチェコの歴史を簡単に紹介。
しかも、内々にお願いしていたので「フス戦争」について詳しく説明してくださった!

おお、待ってました!!(私の心の声)

ヤン・フスは14世紀の聖職者。当時キリスト教はボヘミア王国(現在のチェコ)支配層がドイツ語で布教していたが、フスは被支配層の農民たちでもわかるようにチェコ語で説明を始めた。(このあたりはルターに似ています。※第1回「教会の変遷」参照)
さらにフスはローマ教皇の免罪符を批判して破門され、宗教裁判で「異端者」として火あぶりにされたそうです。
これに怒ったチェコ語の信者たち(下層階級・農民など)がカトリックに反旗を翻したのが「フス戦争」。結局、下層市民たちは負けてカトリック支配(ドイツ支配)が続くわけですが、この時の意識が脈々と地元民の心に受け継がれていて、ついに19世紀に入り彼らの民族意識が盛り上がるのですね。
そのタイミングがミュシャのスラヴ叙事詩や、ドボルザーク、ヤナーチェクなどの民族意識(アイデンティティ)の強い作品に表れるのです。

なるほど、そんな事情があったのか。
道理で、ヤン・フスとミュシャは時代が違うのに変だと思っていたのでした!

ところで、ルターについて少し。
中学校の歴史で出てくると思いますが、「ルター・カルバン、宗教改革」がキーワードですね。
でも、授業では言葉と年号だけ覚えておしまい。だから言葉だけは記憶に残っていますが、宗教改革っていったい何?だからどうなの?って、宗教感の薄い日本人は意味が分からないまま大人になってしまうのですね。
昨年ドイツへ行った時もそうでした。
アイゼナハという小さな町へ行きましたが、そこはバッハとルターのゆかりの地だった。私はバッハが好きだから博物館へ行き楽しみましたが、街には「ルター500周年」の旗がたくさん掛かっていました。

アイゼナハ:ルター500周年

ルターは、それまで上層階級しか読めないラテン語だった聖書を、下層階級でも読めるドイツ語に翻訳した人、そして「免罪符」乱発による腐敗した金権政治のような教会の体制を批判して宗教改革を行いプロテスタントを生んだ人。財力と既得権に守られているだけのそれまでのキリスト教(カトリック)に「おかしい!」と疑問を呈して、一般市民レベルまで引き下げてくれた重要な人物なのです。
そうとも知らず、ルター500周年の旗に「宗教には興味ないわ」と一蹴した私。本当に「バカ」です。

セミナーを始めて何度も言いますが、「知らないで行く」ほど「もったいない」ことはありません。そりゃ、ピースと笑顔の写真撮って満足とか、その場所へ行った事実だけに満足って人も中にはいるでしょうが、せっかく遠く異国の地へ行くならば、その場所について歴史や文化、民族、背景について、もっといろいろと知って行くと、その国の見え方が何百倍も変わってきますよね!

だから、マニアックと思われがちな内容でも、真面目にセミナーしているのです!!

セミナーが始めると、相変わらず皆さん、熱心に耳を傾けメモをとる!

おっと、話をチェコに戻しましょう(^^;;

チェコの歴史上、もうひとつ重要なことがあります。
それは、1620年の「ビーラー・ホラの戦い」。聞いたことありません(苦笑)

この戦いでも地元のチェコ軍(プロテスタント)はカトリックに負けます。
カトリック(つまりドイツ支配)強いですね(^^;;
その結果、国民はカトリックへ改宗するか、国外退去するか迫られたそうです。
そしてほとんどの中産階級(学識者など)が国外へ行ってしまい、人口がそれまでの1/5になる大打撃。
実はこれもチェコの音楽史に影響を及ぼします。

クラシック音楽の変遷については第2回セミナーで説明していただきました。
そこでは、クラシック音楽の起源は4世紀頃で、中世→ルネサンス→バロック→古典派→ロマン派→近現代へと移り変わる。我々のよく知るモーツァルトやベートーヴェンは古典派で、ショパンはロマン派。

ところが、チェコには古典派が(ほとんど)存在しないそうです。
その理由が、さっきの戦争結果に関係するんですね。
なぜなら、古典派(世俗音楽)を支える中産階級・知識層がチェコからごっそりいなくなってしまったからです!
それで、ひとつ前の時代の「バロック」が長らく続いていたわけなんですって!!

「なんと!そうだったのか!!」(一同、膝を打つ)

歴史って、だから面白いですね!(^^)
学校教育では「事実と年号」だけですが、こんなふうに歴史的は音楽や芸術、文学などにも深くつながっているのです。
学校の先生にも、ぜひこのセミナーに参加していただきたいものです!!

オロモウツでは毎年夏にバロックの祭典が行われる(写真:チェコ政府観光局)

ちなみに、チェコは西のボヘミア地方東のモラヴィア地方に分かれます。
このビーラー・ホラの戦い敗戦で首都プラハを中心にボヘミア地方は壊滅的になったが、モラヴィア地方は田舎だったのでゴタゴタにそれほど巻き込まれずに案外穏やかにいられたそうです。
戦時中の疎開地みたいな感覚でしょうかね。
ブルノ、田舎で良かったね(^^;;

その田舎ならではの心温まる話をひとつ。

モラヴィア地方には「オロモウツ」というバロックの祭典でも有名な町があり、そこには「聖ヴァーツラフ大聖堂」という素晴らしい大聖堂があります。
そのオロモウツ大司教の離宮(宮殿)がクロムニェジーシュという舌を噛みそうな所にあります。
「え?聖職者なのに宮殿?」
と、ご参加者からも質問が出ました。たしかに不思議~。
どうやら当時の聖職者は貴族の次男坊や三男坊が家を継げないのでなるらしい。だから宮殿なのね、納得。

世界遺産登録されているクロムニェジーシュ宮殿の庭園群(写真:チェコ政府観光局)

そのクロムニェジーシュ宮殿の領主をはじめ、モラヴィア地方の領主さんたちがまた「いい人」で!
当然カトリック支配でドイツ語の世の中でしたが、ハプスブルク家の家臣だったヤロムニェジツェという街の城主は自らチェコ語を学び、地元から才能のある人を選抜してウイーンで勉強させて、また地元へ呼び戻した。いわゆる奨学金制度の留学みたいなものですね!

右の絵「モラヴィア教師合唱団」は、ドイツ支配が続いた中でチェコ語による地元の音楽を発展させた「音楽教師」の功績を伝えている

なので、都会ではどうだったか知りませんが、田舎ではドイツ支配者vsチェコ下層市民がガチガチに対立しあっていたわけでもなく、案外仲良くやっていたのかも知れません(^^)
こういう「いい話」を聞くと、その現場に行ってみたくなるのが心情。
決めた!チェコ・ブルノの旅ではぜひ訪問してみよう!!

そういうわけで、ブルノを中心としたモラヴィア地方にも意外と見どころ(とういより逸話)が多々あるようですが、最後にもうひとつだけ!

忘れてならない、ミュシャ様のお話(^^;;

ブルノに「聖ペテロ・聖パウロ大聖堂」がありますが、ミュシャはここで聖歌隊員をしていたそうです!!
画家なのに聖歌?
どうやらミュシャは画才だけでなく、音楽にも相当な才能を持っていたそうで、どっちの道に進むか悩んだほどだったとか。
もしこの時、音楽の道に進んでいたなら、昨年の大ヒットはなく、今頃私の家にはリトグラフは存在していなかったわけですね(^^;;
まあ、それはそれで、もしかすると絵の代わりにCDがあったかも知れないので、どちらに転んでも良しとしておきましょう!

ミュシャが聖歌隊を務めていた聖ペテロ・パウロ大聖堂

ついでにおまけネタですが、メンデルはこのブルノにある修道院の庭でエンドウ豆の実験をして、あの大発見に至ったそうです。庭いじりからまさかの発見!?(^^;;
おまけネタその2ですが、チェコ代表作曲家の一人で村上春樹さんの小説に出てきて一瞬ブレイクした「ヤナーチェク」はその修道院の聖歌隊員でした(^^)

いかがでしたか?
ブルノって何?どこ?だと思いますが、少しはチェコの深淵を見ていただけたでしょうか。
他にも多くのお話が披露されましたが、ブログではここまでにしておきます(^^;;

当社の「教会と音楽セミナー」では、今後もヨーロッパの知られざる魅力に挑戦して行きます!

どんな方が参加してくださっているのか…!?
ー 教会が好きな方
ー 教会建築に興味がある方
ー クラシック音楽が好きな方
ー 実際に演奏や合唱の活動をしている方
ー ヨーロッパが好きな方
ー ヨーロッパの宗教に関心がある方
ー 旅行が好きな方
などなど。

「教会のことは知ってます」とか、「音大出てるから今さらクラシック音楽の勉強は不要」とかおっしゃらず、ぜひご参加ください。
当時の人物やその土地に関する「裏話」がなんと言っても面白いのです!
きっと「目から鱗」の発見の連続です!!

次回もまた、お待ちしております♪

最後は渡邊先生のチェンバロ即興演奏を♪♪

演奏フィナーレ♪

次回は7月7日(土)七夕の日、10:30~12:30
今度は北ドイツがテーマです。チェコより少しはメジャーです(^^;;
1989年の歴史的大事件、東西分断の壁が崩壊したかの有名なベルリンから、バッハが恋焦がれて400kmも歩いて行ってしまった世界遺産の町リューベックまで、バロックの巨匠たちが活躍した北ドイツの魅力に迫ります!

【Facebookでイベント公開中!】

https://www.facebook.com/events/2023707291202447/

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教会と音楽セミナー

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皆さまのご参加、お待ちしておりま~す♪

この北ドイツをめぐる旅行も企画しています。
あわせてご覧ください(^^)♪

北ドイツ紀行 9日間

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Email info@i-travel-square.tokyo
Telephone 03-6706-4700 (平日10時~18時)

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