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夕張、栄枯盛衰、そして今…


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先週は北海道視察へ行っておりました。

訪問したのは、夕張、池田町、忠類、襟裳岬、新冠、苫小牧。
「札幌」「函館」が出てこないあたりが、いかにも私の視察です(^^;;

時間になると鳴き出すナウマン象! ※クリックすると古代ロマンかき立てる声が聞こえます(^^)
建設費がかかりすぎたことを揶揄して名付けられた「黄金道路」(^^;;
襟裳岬灯台。一年をとおし風がずっと強いことから「風の灯台」呼ばれる。※クリックすると強風の轟音が聞こえます(^^;;

 

その中でも、どうしても見ておきたかったのが夕張。
朝から夕方まで、たっぷり時間をかけて、ガイドまでお願いして、しっかり見てきました。

そしていざブログに起こそうと思うのですが、どうも筆が進まない。
その理由がなぜなのか?
とても印象深いものを見てきたにも関わらず、なぜ書く気が起こらないのか…
その理由は、おそらく「自分の中に落とし込めていない」から。
考えがまとまっていないから、なんですよね。

まず、皆さんが知る夕張って何でしょう?

  • 夕張メロン
  • 財政破綻した町
  • 昔の炭鉱…

まあ、だいたいこんな感じですね。私も同様です。
訪問する前は、北海道のどこにあるかすら知りませんでした(苦笑)

シーズン最後の夕張メロン…1人なのに完熟メロンを1個衝動買い、いったい、いつ・どこで食べるというのか?(^^;;

その夕張を、大きく2つのポイントで見てきました。
一つは炭鉱の内側、もう一つは炭鉱で栄えた町のその後。

炭鉱の内側は「石炭博物館」で見学できます。

全国最低の行政サービス、全国最高の市民負担。自虐ネタか?

まず、展示室には閉山前の炭鉱の足跡を思い出させるいろいろなパネルが紹介され、さらに最も栄えて人口が12万人ほどいた頃から、閉山によって人口流出が始まり、追い打ちをかけるように市の財政破綻でボロボロになり、現在は8000人しか住んでいない、といった生々しいデータも大きく掲げられています。栄光から一転、地獄に突き落とされた市民。本当に痛々しい限りでした。(※「炭鉱から観光へ」と掲げたは良いが、過剰なリゾート開発投資の失敗と、財政の不適切な会計処理によって市は破綻した)

そして、ここには「模擬坑道」という昔の坑道を利用した展示室があり、かなりリアルなマネキンや実際に使われていた機材なども間近で見ることができます。
エレベータで坑道へ降りると、(あの冷蔵庫の臭い取りのような!)炭のにおいが充満しており、昔はこういう環境で作業をしていたんだな、と思い浮かべることができました。
当然、事故も発生しやすく、犠牲になった人もたくさんいらっしゃいます。
私は海外でもよくこういった産業遺産を観に行くので、近年だとスロベニアの水銀鉱山(世界遺産)や、キルギスの岩塩採掘場(サナトリウムを併設)などを思い出しました。

模擬坑道の出口隣には、本物の坑道跡。

なるほど、炭鉱とはこういう施設だったのか、と大まかに理解ができました。

博物館ではちょうど夕張鉄道の企画展をしていた
放映されたビデオに「さよなら列車」が映し出され、思わずウルっときてしまった

そして次は、炭鉱の町のその後です。
たまたま調べていたら「清水沢プロジェクト」というのを発見し、問い合わせたら案内をしてくれるというので、さっそく予約。最初に見たwebサイトに掲載されていた、かつての発電所施設が廃墟のように残っている写真に魅かれ、失礼ながらけっこう軽い気持ちで「見てみたい」と思ってしまったのです。
(※元発電所施設は私有財産のため、立入りには許可が必要です。無断立入は絶対にしないでください!)

廃墟のような写真に魅かれてしまった…

電話口で「事務所が似たような建物の一角にあるので、わかりにくいかも」と言われており、実際に行くと確かに県営住宅とか、市営団地のような、同じアパートの集合体の町でした。
今年春にチェルノブイリのゴーストタウンを見ていたので、当然ここも誰も住まない廃墟団地だと思っていたのです。
ところが、実際に説明を聞いてみると、今なおこの団地には人が住んでいることに驚いた。そしてかつて威光を放った火力発電所は廃墟同然の姿ながらも、譲り受けた会社により再利用されていることももう一つの驚きでした。

かつての鉱員アパート
こちらは本物のゴーストタウン、プリピャチ

チェルノブイリと違う点は、チェルノブイリ(プリピャチ)は放射能に汚染されたため、物理的に(理論上は)住むことができないのだが、この清水沢は単に産業がなくなっただけで、住もうと思えば何も問題ありません。
それゆえ、かつて炭鉱マンとして活躍した人々が今は静かに年金生活を送っている、ということでした。

10年計画で始めたこのプロジェクト、もうすぐ10年が経とうとしています。
企画者の佐藤さんは、思った以上に順調に計画が実行された、とおっしゃっていました。
一方で、この先ここをどう扱っていくのか。
保存するのか、撤去するのか。
保存するなら、どのような形で?など、住民の方々と一緒に考えていく必要がある、とも。

廃墟となった発電所内を説明してくれる佐藤さんは、地元出身ではないため、とても客観的に冷静な見方をしていた
石炭を掘った時に出る屑を積み上げたズリ山、たしかに足元には石炭らしき石がゴロゴロ転がっている。
そのズリ山から見下ろした光景に「こんなところにニュータウン?」と目を奪われたのが、佐藤さんが清水沢に魅了されたきっかけだそうです。

この清水沢と同様に、かつては企業城下町や基幹産業で栄えた町が、時代の流れや国策によって、緩やかに、あるいはある日突然、その歩みを終えざるを得なかった町が、日本中、世界中に存在しています。
撤去して「なかったことにする」のは簡単ですが、果たしてそれで良いのだろうか?
そこで生活してきた人々の、その地域の、そしてその国のバックグラウンドがそこには内包されているのに、そんなに簡単に捨て去ることができるのか?

最初にこの廃墟を見て率直に感じたこと…
「なんて寂しい美しさなんだろう」
いま考えると、これは寂寥とか茶道で出てくる「もののあわれ」に近いような。
生まれてくる喜び、楽しさ、明るい未来とはまったく逆を行く、暮れ行くもの・衰退してゆくものに対する寂しさ、侘しさからくる切ない美しさ、だったのではないかと思います。
だからでしょうか、プロジェクトの佐藤さんは、「アーティストの力を借りて」とおっしゃっていました。確かに一種の芸術作品のようにも見えます。

数年内に取り壊される予定だった廃墟、地元大学生が奮起してアートイベントを行ったことに感動した当時のオーナーが取り壊しを延期してくれたらしい。
湖岸道路、ダム湖に沈んだ村の当時の様子をモニターで重ねながら走る。

チェルノブイリ、アウシュビッツ、広島の原爆ドームなど、世の中には「負の遺産」と呼ばれるものが少なからず存在します。
それらの立ち位置とは?
なぜ悲しい事実をわざわざ残しているのか?

清水沢は「負」とまでは言わないまでも、全盛期は12万人いた夕張市の人口が今や8000人まで減り、炭鉱閉山後の主要産業は「年金」と言い切る65歳以上高齢者比率50%の町は、何もしなければ確実に自然消滅します。かつての栄華がある故に、プライドをズタボロにされた町(行政の財政破綻という汚名も追い討ちをかける)。そして全国には同様の町や村が多数潜んでいるのも事実。

「産業遺産」と言えば聞こえは良いが、結局どこも「今は使っていないもの」。
維持費を考えれば撤去した方がずいぶん簡単なはずです。
それなのに、なぜ世界中に「産業遺産」が保存されているのか。

その意味をしっかり再認識する必要があると強く感じました。

日本で初めて近代産業遺産がUNESCO世界遺産登録されたのが「富岡製糸場」。

富岡製糸場

「世界遺産」になると、すぐに「観光地化」させたがるのが日本人の悪い癖。
なぜ私が「観光地化」を嫌いなのかと言えば、本来伝えたかった「重い」歴史や背景がおざなりにされ、現代人の好みに迎合して「軽い」内容に変化させてしまう、例えば、ゆるキャラを作ったり、お土産ショップでは施設の解説書ではなく「○○クッキー」「○○ストラップ」など、いかにも「軽い」商品を必死に売ろうとするからです。

そして、訪れる側も「(内容はよくわからないし興味もないが)、世界遺産だからとりあえず来てみた」と人物入り証拠写真だけ撮って満足して足早に帰って行く人が少なくない。だいたい、大混雑の世界遺産スポットで、当時を思い浮かべようとしても無理な話。押し合いへし合いで、遺跡も遺産もほとんど見えず、見えても感慨深く佇む余裕もなく後ろの人に押され、スリに合わないか鞄が心配になり、そんな状況にだんだん腹が立ってくるのが関の山です。

多くの観光客を呼び込み、ひと儲けするために「世界遺産」認定するのではないのに…。

なぜ「負の遺産」を残すのか
なぜ「今は使わない産業遺産」を残すのか

この意味を真剣に考える必要があると思い起させたのが、この清水沢(夕張)でした。

もちろん、北海道には美味しい食べ物、美しい大自然、ウィンターリゾートなど、楽しい要素が満載です。なにもわざわざ「重い」体験なんてしたくない人がほとんどでしょう。

でも、ずっと「享楽」だけ追い続けていればいいのでしょうか?

人間はそのうち、その「重み」に気づく時が来る。
産業衰退による人口流出、自然災害による町の破壊、高齢化による市町村の消滅…
存在していたものを失った時、初めてその存在の「重み」に気づきます。
なぜなら、そこは自分が生きてきた場所であり、自分のアイデンティティのベースになっているから。
辛い歴史の1ページだから「なかったことにする」ということは、自分の存在自体を否定しているようなものかも。

「過去を無視して未来には進めない」と話してくれたのは石炭博物館の職員さんでした。

夕張を離れる直前に立ち寄った道の駅では、ちょうど地元のイベントが行われていた。高齢者だけでないことがわかり、ちょっと安心した(^^;;

今回の視察は、単なる好奇心の廃墟ツアーではなく、もっと深く重い、日本が進む道を考える試金石になる気がしました。

ぜひ皆さんも夕張に足を運んで、過去・現在・未来を感じ取ってみてください!

「黒いダイヤ」。かつて日本の産業を支え続けた石炭。世界の価格競争に負けて閉山に追い込まれた。

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