Close

エストニア『歌と踊りの祭典』、感動は現地で!


(back to Top page / ホームに戻る)

7月1日から9日間、お客様と一緒にエストニアへ行ってまいりました。

目的はズバリ!

5年に一度、歌と踊りの祭典」!!

今回すべてのお客様がこれを目的としてお申込み。
皆さま、かつてのテレビ放映で魅了されたようで、このイベントへの思い入れはかなり深く、「20年越しの夢を実現できた!」と感激されたお客様も!

まだ日本ではあまり知られていないイベントですが、現地に赴くと外国人の割合もかなり多く、私がおしゃべりしたアメリカ人は「3年前から狙って準備していた」と言ってました。
かくいう私も1年前から準備を始めたおかげで、ホテルはなんとか押さえられましたが、イベントチケットは一斉売り出しだったので、ちゃんと取れるか、ヒヤヒヤでした?(エストニア協会さんとの強い連携によって、何とかゲットできました!)
この時期のホテル、価格がいつもの3倍ほどに急騰しますが、それでも5年に一度の大イベントとあって、どこもほぼ満室です。
このイベントに世界中から参加する人たちは、「お金に代えられない感動」を求めていらっしゃったことは間違いないと、現地で実感しました!

祭典期間中、価格高騰でもほぼ満室のホテル。私たちは旧市街のすぐそばロケーション抜群の高級ホテルに陣取りました!

ここで、旅を振り返る前に、少し当社のことを紹介しましょう。

「どんなツアーをしているのか、どうやって申し込めばいいのか、わからない」とよく言われます(苦笑)

当社では「テーマ」を持った旅行をご提供。
旅行ごとにテーマは異なり、「秘境」「ワイン&グルメ」「音楽」「教会」「建築」など様々。
今回のエストニア旅行のテーマはもちろん「5年に一度の歌と踊りの祭典」。
このテーマに沿った現地ツアーを「参考プラン」としてホームページやSNSで紹介しています。
あくまでも「参考」なので、このプランに乗っかっていただいてもいいし、ポイントだけ押さえて各自のご希望でアレンジしてもOKです。

今回のお客様は、
3名様が参考プランのままご参加+飛行機の手配
2名様は飛行機、ホテル、イベントチケットの手配、でした。

「一人で参加するのに個人旅行は不安だから」「語学に自信がないから」「参考プランのどれも興味ある」というお客様は参考プランに乗っかっていただくと良いです。
一方、旅慣れたお客様で、参考プランの中に「ここは行かなくてもいいかな」と思う場所があれば、別の旅程を作成することもできますし、ホテルや飛行機だけの個別手配の対応も可能です。

こんな自由度が高い手配なので、今回のお客様には「自分たちの都合にあわせてもらえた」と喜んでいただけました!

参考ツアーの実施以外にも、下記の手配は実績ありです。

  • 航空券の手配
  • 航空券とホテルの手配
  • 鉄道パスと座席予約の手配
  • 現地ツアーの手配
  • イベントチケットの手配

また、当社が提供する参考プランの中には、私の視察を兼ねたものもあり(注意:旅行形態は「手配旅行」で、基本は旅程管理なし)、添乗員は同行しないのに、旅行会社の人(私)が一緒に行くので、現地で通訳や街歩きの仕方をご案内したり、何かあったときにすぐ対応できるため、とても好評です。
今回も「少人数で添乗員さんを占有しているみたいで、すごく安心だし、こんな値段でいいのかと思うほど、お得だった!」と喜んでいただけました。
あくまで私の視察なので、本来の添乗員業務とは異なり、時には「皆さまご自由にどうぞ」となりますが、それでも現地でお客様を見捨てるわけにはいかないですものね、ちゃんと見守っていますので、ご安心ください(^^;;

私の視察旅行に便乗がお得かも(^^)

ホームページ:ご利用方法
(ただし、ページはちょっと手抜きです、そのうち整理しますので、しばしご容赦を?)


さて、エストニア旅行の話に戻しましょう。

今回のテーマでもある『5年に一度の歌と踊りの祭典』、単なるお祭り騒ぎではなく、背景に深い深いストーリーを持っているのです。だからこそ、国民が総出で参加し、世界中に感動を与えているのです!

エストニアは他の旧ソ連の国々同様に、非常に複雑な歴史を歩んできました。

  • 紀元前9500年ごろからバルト三国の地域に人類が生活を営むようになり、
  • 7世紀ごろから北欧のバイキングが訪れてタリン、タルトゥで交易が営まれました。(サーレマー島で見た要塞は、当初は交易に便利な場所だから彼の地に建てたと聞きましたが、これのことだったのか…)
  • その後、12世紀にカトリックが布教に入り、後にルター派に変わっていきますが(ドイツ支配を経て?)、もともと自然崇拝(アニミズム)が行われていたので、一神教(キリスト教)は馴染まず、現在でも熱心な信者は20%~30%ほどしかいないと、サーレマー島のガイドさんは話していました…「もちろん私もその他70%の方に所属」と…(^^;;
  • 13世紀にはデンマーク支配からドイツ支配下へ。このころハンザ同盟に加わり、自由都市として発展するも、エストニア人はドイツの被支配層という形で。
  • 1558年のリヴォニア戦争で、ドイツ騎士団vs.ロシア・スウェーデン・デンマーク・ポーランドの戦いとなり、ヴィリニュス協定で国がスウェーデン、デンマーク、ポーランドに分割されるが、ドイツ人騎士による支配は残存。
  • その後17世紀は「よきスウェーデン時代」として現地語の聖書印刷や初等教育などが始まる。一方、ロシアがリガ(ラトビア)に進軍し、ドニエプル川左岸はロシア支配に。このころからロシアの脅威が迫りだすようです。
  • 1700年~1721年、大北方戦争では、エストニアで焦土戦。その後ロシア帝国に編入され、1991年までロシア帝国、ソ連による支配が続きます。
  • 1869年にロシア支配下で初めて歌の音楽祭(エストニア音楽祭)が開催。
  • ロシア革命、第1次世界大戦を経て、1918年にエストニアは独立宣言するも、すぐにドイツが占領
  • 1939年に独ソ不可侵条約を締結するも、秘密協定でソ連軍はエストニアに駐留、1940年にソ連がバルト三国に侵攻し、傀儡政権を設立
  • 1941年にはドイツ軍がバルト三国に侵攻し、ソ連軍撤退
  • 1944年、ソ連軍が再びエストニアを占領
    このようにせっかく1918年に独立したはずなのに、その後、他の旧ソ連国家と同様に、ドイツとソ連が順に支配を繰り返し、なかなか自立した国になれなかったのです。
  • 流れが大きく動いたのは、1989年の「人間の鎖」(※ユネスコ記憶遺産)。タリン(エストニア)、リガ(ラトビア)、ヴィリニュス(リトアニア)の約600kmをつなぐ100万人の住民が手を取り合って訴えた自由を求める平和的デモの様子を、西側諸国が空から中継を行い、世界に発信したことがきっかけとなり、
  • 1991年、ソ連解散・崩壊に伴い、ようやく本物の独立を手にすることができたのです。
人間の鎖

この「人間の鎖」に先立つ1955年と1988年の「歌の祭典」も重要です。

エストニア「歌の祭典」は1869年に始まりました。当時のロシアはプロパガンダが必要で「農奴解放50周年」記念と掲げての開催です。第1回はエストニア人の曲は2曲のみで、他はロシア人作曲家の歌ばかりでした。この時の2曲が今でもエストニア人に愛される『わが祖国、我が愛』『わが祖国、我が喜びと幸せ(後の国歌)』です。
その後の歌の祭典は、ロシア化が強化される中、大義名分はロシア皇帝の在位や戴冠の祝賀。ところがこの祭典に集まってくるのはエストニア人ばかりで、ロシア人の意に反して、エストニア人が民族の一体感を意識する絶好の機会となったのです。
その後も5年ごとに祭典が開催。そして最初の機運は1955年の祭典。スターリン亡きあと、政治的緊張が緩和。その時にエストニア人の心の歌『わが祖国、我が愛』が自然発生的に唱和されたのです。会場はもちろんソ連の監視体制下ではあったものの、何万人も集まっており政府側はこれを止めることができず苦虫を潰す思いだったとか。
そして次の重要な転換期が1988年。民衆は共産党指導部に抗議の意思表明。翌日合唱祭の会場に15万人が集結し、9月にはエストニア人民戦線主催で祭典が開催。30万人の国民が歌うことでソ連支配への抗議の意思を表明、これが「歌う革命」と呼ばれる所以に。そして翌1989年の平和的抗議デモ「人間の鎖」へと続いていきます。

ちなみに、こんなにすごいレポートは私独自の調査ではありませぬ?
当社人気セミナーのひとつ「教会と音楽セミナー」第6回で、渡邊先生に無理を言って取り上げていただいた賜物です!!先生の専門バロック音楽とは少し時代背景が異なるのに、よくぞここまで調べていただけたと、本当に感謝、感謝です♡

1991年の独立まもない頃、同じバルト三国のリトアニアとラトビアでは政府との抗争で何人かの犠牲者が出たらしいのですが、「エストニアでは一人も犠牲者が出なかった」とサーレマー島のガイドさんは誇らしそうに教えてくださったのが印象的でした!

いかがでしょう?
こんなに深く強い意識(民族のアイデンティティ)を背景に、今日もなお「歌の祭典」は続き、世界中の人々の感動を呼んでいます。
オリンピックのマスゲームなどとは違い、ただ歌って踊って「あー、楽しい」というような祭典ではありません。
それを知ったからこそ、今回のツアーにご参加のお客様たちは、「どうしても現場を体験したかった」と長年の夢を実現してくださったのです。
こんな嬉しく誇り高い旅行は、そうそう見当たらないですよね!
私も一緒にご案内できて、本当に良かったと思いました(^^)♡

エストニア民族衣装に身を包み歌の祭典会場に入場。地域や島ごとに色や柄、帽子などが異なり、見ていて楽しい!
エストニアブランドのカレフ(チョコ)でも歌の祭典バージョン!初日に買いに行ったが、翌日は完売していたらしい?

2003年に「歌と踊りの祭典」はUNESCO無形文化遺産に登録されました。
ステージの歌い手2万人強、観客7万人強の10万人近い人々が集う、巨大な祭典です。
現在は、エストニア人だけでなく、世界中からも参加を応募でき(もちろん厳しい審査とエストニア語の歌が必須)、今回は日本の(和歌山?)若い女の子たちが浴衣を着て参加していました。若い子たちにも「平和の大切さ」を理解してもらえて、ちょっと嬉しかったかな(^^)

出待ちの子供たち。親から子へ、子から孫へと受け継がれていく伝統とアイデンティティ(クリックすると青と白の美しいダンス動画)
ナショナルカラーの青・黒・白の衣装をまとい誇り高く踊る(クリックするとダンスの動画♪)
初日は踊りの祭典!(クリックするとフィナーレのダンス♪手の振り方が可愛い♡)
歌の祭典初日、はじまりは国歌から。ステージ・客席、全員総立ちで熱唱♡(クリックすると熱唱の様子)
2日目・3日目は歌の祭典。フィナーレはみんなが大好きなあの歌!(クリックするとフィナーレ♪旗の振り方が面白い♡)

 

今回の旅行は、他にもいろいろ嬉しいハプニングがありました!

サーレマー島で日本のガイドブックに載ってない古い教会を訪問したら、「あなた達はここを訪ずれた日本人第1号よ」と言われて、一同大喜び!お客様が教会のオルガンを弾かせてもらい、さらに大喜び!!

祭壇左手のオルガンを発見!お客様、演奏させていただく♪(クリックすると演奏)

サーレマー島のガイドさんが親戚経営の養殖所に連れて行ってくれて、そこでスモーク・ニジマスのご馳走にあずかってしまった(^^)

エストニア最大の島、サーレマー島では…

タリン旧市街では…

地元の人に教えてもらったお気に入りのシードル。毎晩の楽しみでした♡

KGBミュージアム、ギリギリ申込できて見学。ソ連体制下の様子がわかったうえでの祭典参加は、なお感慨深い。

聖霊教会のミサに参加でき、美しい聖歌に心が洗われた♡

お気に入りの聖霊教会(クリックするとミサの合唱♪)
なんと、こんなところにルターさんが!痩せてるからわからなかった(笑)。しっかりルターローズまで♡

歌の祭典までのパレードに遭遇、想定外の幸運!!練り歩く人々の美しい歌声に、まだ始まっていないのにウットリしていました♪(^^♪

歌いながらパレード♪(クリックすると動画で歌声)

ヘルシンキへ戻るフェリーターミナルでも、最後のコーラスを聴かせてくれた♪

@フェリーターミナル。最後まで笑顔が続いた良い旅でした(^^)※クリックするとフェリーターミナルでの歌声!

今回の旅行は、少人数で動きやすく、旅程を詰め込みすぎず、自由時間も多く、適度に体を休ませることができた、ゆとりの旅でした。
出発前の週間天気予報では、ずっとぐずついた雨模様だったのに、本気で雨が降ったのはわずか1日だけ(その日はほとんど移動だったので、観光にあまり影響なし)。期待の歌と踊りの祭典は、本当に素晴らしい晴れのお天気で、お客様と祭典参加の国民みんなの気持ちが天に通じたと思いました!

お客様からも「こんなに素晴らしい旅行は初めて。本当に来て良かった!」と心から喜んでいただけて、私も感無量です!!

このような感動の旅、これからもたくさん提供していきたいですね(^^)


感動の旅:日本版」もあります!!
次の2コースは、私が自信をもってご案内できる、日本の感動シリーズ。
まだまだ募集しておりますので、ぜひご参加ください!!

・9月2日~4日『おわら風の盆&五箇山+城端・井波・高岡3日間』

おわら風の盆&五箇山+城端・井波・高岡3日間

・11月20日~24日『ぜんぶ宮崎!神話と古墳・高千穂夜神楽5日間』

ぜんぶ宮崎!神話と古墳・高千穂夜神楽 5日間

「こんなイベントを取り上げた旅行を作ってほしい!」
といったご要望があれば、ぜひお知らせください。
可能な限り、取り組んでまいりたいと思います!

これからも応援よろしくお願いします(^^)/

旅行・セミナーのお申し込み・ご相談はこちらまで↓

Emai info@i-travel-square.tokyo
Telephone 03-6706-4700 (平日10時~18時)

(back to Top page / ホームに戻る)