いよいよ北欧の仲間入りをしたバルト三国!
地理的理由により、過去には周辺諸国から何度も支配・侵略を繰り返されてきたバルト三国。1991年にようやく独立を果たしました。
その中でもエストニアは、国家独立後に「IT立国」として成功し、多くの観光客が首都タリンやタルトゥの町を訪れる魅力ある国へ変遷を遂げています。
- 中世の空気を今に伝える首都タリン(1997年世界遺産登録)
- 国家独立へ導いた「歌と踊りの祭典」
- SkypeなどIT技術
- 日本人の口にもよく合う食文化
- 伝統的手工芸と可愛い雑貨たち
未だ知られざるエストニアの魅力に迫ってみましょう!
● エストニアの基本情報
- 国土面積:4.5k㎡(九州+沖縄くらい)
- 人口:132万人(青森県くらい)
- 首都:タリン
- 言語:エストニア語
- 宗教:無宗教、正教、プロテスタント
- 産業:Skypeをはじめ、IT先進国
- 通貨:ユーロ(2011年1月より導入)
● エストニアの歴史と変遷
- 紀元前30年 エストニア人の祖先が現在のエストニアに到着
- 以降、デンマーク、スウェーデン、ソ連、ドイツなど周辺諸国から常に脅かされ支配、略奪を繰り返す
- 1869年 最初のエストニア歌の祭典開催
- 1918年2月 エストニア共和国独立宣言。すぐにドイツ軍の占領、ソ連のバルト地域侵攻
- 1939年8月 独ソ不可侵条約締結。秘密協定によりバルト三国はソ連の勢力範囲に
- 1942年6月 ドイツ軍のバルト三国侵攻、ソ連軍撤退
- 1944年 ソ連軍が再びエストニアを占領
- 1991年8月 エストニア独立宣言、これまでのソ連の一員というイメージを払拭、ヨーロッパの仲間入りを目指す
- 2004年3月 NATO加盟
- 2004年5月 EU加盟
- 2011年1月 通貨ユーロを導入
- 2017年 国連によりバルト三国を従来の東欧から北欧へ変更、北欧の仲間入りを果たす
● 日本とエストニアを結ぶ3つの”S”
- Skype(スカイプ)・・・IT立国エストニアで生まれた
- Sumo(相撲)・・・ご存知、把瑠都(バルト)関はエストニアでも圧倒的人気!
- Singing(歌)・・・1987年に独立を目指し始まった「歌う革命」、5年に一度の「歌と踊りの祭典」、N響指揮者のパーヴォ・ヤルヴィー氏、偉大なる作曲家アルヴォ・ペリト氏など、エストニアは「歌」なしでは語れない
● 5年に一度の「歌と踊りの祭典」(全国歌謡祭)※次回は2024年
→【旅行】エストニア・5年に一度「歌と踊りの祭典」7泊9日 2019年7月1日~7月9日実施
1988年開催の祭典では、ソ連統治下のもと、勇気を奮い禁じられていたエストニアの民族音楽をエストニア語で大合唱。それが国民の機運を高め、1991年8月のエストニア独立へと導きました。流血なしに独立を達成したこのイベントは、「歌う革命」とも呼ばれています。
この「歌と踊りの祭典」は2003年にUNESCO無形文化遺産に登録されました。(写真をクリックしてください↓)
● 日本人の口にも合う食文化
エストニア料理はドイツ料理と似ており、基本的な食材は黒パンやソーセージですが、ニシンやサーモンなどのシーフードも豊富にあり、魚が好きな日本人にはありがたい食文化です。また、エストニアの食卓に欠かせないジャガイモはしっとりとして甘くて美味しく、種類も豊富です。
「スルトゥ」という豚の煮こごりゼリーは、なかなか美味しく、日本の煮こごりを思い出していましますね。
● 雑貨&手工芸がいっぱい!
北欧・東欧は雑貨好きにはたまらない国々。ここエストニアにも可愛い雑貨や手工芸品があふれています。
- ニット製品:地方独特の柄を編みこんだミトン、マフラー、帽子など
- 木製品:ねずの木を使った伝統的な木製の食器やカトラリーなど
- 手工芸品:民族衣模様など地方文化を物語る皮革工芸、陶芸、ガラス工芸など
kiri meri… エストニアの素敵な小物やニットなどの販売サイト↓
● あいさつ
- こんにちは → Tere!(テレ)
- ありがとう → Aitäh(アイタ)
なんだか可愛いですね 😛
● 首都タリンと旧市街
● ”エストニアの精神的首都” タルトゥ
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